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かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり - What is hidden turns into manifest virtue.

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本文 仏法の中に 内薫外護(ないくん げご)と申す 大なる大事ありて 宗論にて候、 法華経には「我 深く汝等を敬う」 涅槃経には「一切衆生 悉く 仏性有り」 (中略) かくれたる事のあらはれたる 徳となり候なり ぶっぽう の なか に ないくん げご と もうす おおい なる だいじ ありて しゅうろん にて そうろう、 ほけきょう には「われ ふかく なんだち を うやまう」 ねはんぎょう には「いっさい しゅじょう ことごとく ぶっしょう あり」 (ちゅうりゃく) かくれ たる こと の あらわれ たる とく と なり そうろう なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1170~1171頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 仏法の中に「内薫外護」という大事な法門があり、これが仏教を説く上で大事となる原理である。 法華経の不軽品には、「私は深くあなた達のことを敬う」とあり、 涅槃経には「あらゆる人々の生命には、等しく仏性という無限の可能性が元来備わっている」とある。 「あらゆる人の生命に、もともと仏性が内在しており、布に染み込ませた香料が薫りを発するように、仏性が生命の内より薫発すること(内薫)によって、迷いの生命が消滅して、自己の仏性が身体や言動などの現証という、目に見える働きとなって顕れるのである。この時、仏性を涌現した自分と縁している周囲の人々の言動や様々な現証も、仏性という無限の可能性を大きく引き出す助けとなって、自分も、自分に縁した人々をも護る(外護)という働きが顕れる。」 これを内薫外護と呼ぶのである。 (中略) 人知れず、人のために動き働いた事実は、隠れてはいるが内薫として自己の生命を豊かにし、仏性を開き、振舞いや周囲の助けといった徳・外護となって顕れてくるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism teaches that, when the Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without. This is one of its fundamental principles.  The Lotus

仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし - The disciples of the Buddha must without fail understand the four debts of gratitude and know how to repay them.

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本文 仏法を 学せん人・知恩 報恩 なかるべしや、仏弟子は 必ず 四恩を しって 知恩 報恩を いたすべし ぶっぽうを がくせんひと・ちおん ほうおん なかるべしや、ぶつでしは かならず しおんを しって ちおん ほうおんを いたすべし 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (192頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 仏法を学ぶ人が、恩を知り、恩に報わないはずはない。必ず恩に報うはずである。仏弟子は、必ず四恩を知って、知恩・報恩ずるべきである。  英語で御書 Gosho in English That persons who study the teachings of Buddhism must also [observe the ideal of filial piety and] understand and repay their obligations. The disciples of the Buddha must without fail understand the four debts of gratitude and know how to repay them. " The Opening of the Eyes " Part One  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 228 February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏法を 学せん人・知恩 報恩 なかるべしや、仏弟子は 必ず 四恩を しって 知恩 報恩を いたすべし ぶっぽうを がくせんひと・ちおん ほうおん なかるべしや、ぶつでしは かならず しおんを しって ちおん ほうおんを いたすべし BUP'PO WO GAKUSEN HITO・CHI-ON HŌ-ON NAKARUBESHIYA, BUTSUDESHI WA KANARAZU SHI-ON WO SHIT'TE CHI-ON HŌ-ON WO ITASUBESHI 開目抄・上 KAIMOKUSHO・JŌ [人本尊開顕

法華経の命を継ぐ人なればと思うなり - I am convinced that you are a person who can inherit the soul of the Lotus Sutra.

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本文 さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし。 日蓮は少(わかき)より 今生の いのりなし 只 仏にならんと をもふ 計りなり、 されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり 其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。 さきざき よりも ひゃくせんまんおくばい・ごようじん あるべし。 にちれん は わかき より こんじょう の いのりなし ただ ほとけ に ならん と おもう ばかり なり、 されども とのの おんこと をば・ひまなく ほけきょう・しゃかぶつ・にってんに もうす なり そのゆえ は ほけきょう の いのち を つぐ ひと なれば と おもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [世雄御書] せおうごしょ (1169頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 以前より百千万億倍、用心していきなさい。 日蓮は若い時から、自分の今生の繁栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思うばかりであった。しかし、あなた方弟子達の事は、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っている。 それは、あなた方が法華経の命を継ぎ、後世に伝えるという使命がある人だと思うからである。 英語で御書 Gosho in English [ You must ] be millions of times more careful than ever. Since childhood, I, Nichiren, have never prayed for the secular things of this life but have single-mindedly sought to become a Buddha. Of late, however, I have been ceaselessly praying for your sake to the Lotus Sutra, Shakyamuni Buddha, and the god of the sun, for I am convinced that you are a person who can inherit the soul of the Lotus Sutra. " The Hero of the World " "

一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (910~911頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even  Mahākāshyapa, Ānanda, Ashvaghosha, Nāgārjuna, Nan-yüeh, T’ien-t’ai, Miao-lo, or Dengyō has propagated them. My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa or Ānanda

石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる - Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold.

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本文 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪を せめいだし給いて候、 たとへば くろがねを よくよく きたへば きずの あらわるる が ごとし、石は やけば はいとなる 金は・やけば真金となる、 此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて 法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ おのおの・ずいぶん に ほけきょう を じんぜられつる・ゆえ に かこ の じゅうざい を せめ いだし たまいて そうろう、 たとえば くろがね を よくよく きたえば きず の あらわるる が ごとし、 いし は やけば はい と なる 金 は やけば しんきん と なる、 この たび こそ・まこと の ごしんよう は・あらわれて ほけきょう の じゅうらせつ も しゅご せ させ たもうべき にて そうらめ 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) あなた達はそれぞれに、これまで随分と法華経を信じられてきた。それゆえ、過去世で犯した重罪への重い償いを、軽くして今世に責め出しているのである。 これは、たとえば鉄を鍛錬するためにしっかりと鍛え打てば、内部に隠れていた傷が表面にあらわれて、本物の鋼へと鍛えられるようなものである。また、石は焼けば灰になるが、金は焼いて精錬すれば純金へと変わる。 今回の困難こそ、あなた方の信心が本物かどうかが試される「試練」として現れたのだろう。法華経の十羅刹女(諸天善神)もあなたがたを必ず守護するにちがいない。 英語で御書 Gosho in English Both of you have continued believing in the Lotus Sutra; thus you are now ridding yourselves of your grave offenses from the past. For example, the flaws in iron come to the surface when it is forged. Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold. This trial, more than anythin

月月・日日につより給へ - Strengthen your faith day by day and month after month.

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本文 設い大鬼神の つける人なりとも 日蓮をば 梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給う ゆへに ばつしがたかるべし と 存じ給うべし、 月月・日日につより給へ・すこしも たゆむ心あらば 魔 たよりを うべし。 我等 凡夫の つたなさは 経論に有る事と 遠き事は おそるる心なし たとい だいきじん の つける ひと なりとも にちれん をば ぼんしゃく・にちがつ・してんとう・てんしょうだいじん・はちまん の しゅご し たもう ゆへに ばっし がた かるべし とぞんじ たもうべし、 つきづき・ひび に つより たまへ・すこし も たゆむ こころ あらば ま たより を うべし、 われら ぼんぷ の つたなさ は きょうろん に ある こと と とおき こと は おそるる こころ なし 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) たとえ大鬼神が取りついている人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王、天照太神・八幡大菩薩等、あらゆる諸天善神が守護されているゆえに、誰にも罰することはできないのだと確信していきなさい。 同じように、自分にも諸天の守護があるのだと確信して、月々日々に、常に信心を奮い起していきなさい。少しでも信心にゆるむ心が出てくれば、三障四魔がその心の隙をたよりにして、紛れて襲ってくるであろう。 我々凡夫の拙なさとして、経文に難が競うと説かれている事を常に教えているが、自分に大難が襲ってくる事などという事は、自分には縁遠い他人事として、大難を恐れる心がない。 これが信心の心が緩む一例であり、いざ自分に難が襲った時には、退転する原因となってしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Not even a person possessed by a powerful demon, can harm Nichiren, because Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, the Sun Goddess, and Hachiman are safeguarding him. Strengthen your faith day by d

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現わ